ヨガで男磨き

焼き鳥と炭酸水をこよなく愛するヨガ男。ヨガ、ダイエット、筋トレ、日々の食生活に関して

無は豊潤である。

自分の実践しているアシュタンガヨガはmoving meditation(「動く瞑想」)と
呼ばれていてフィジカルなポーズだけではなく、こころの在り方に関しても
その範疇に入っています。具体的にどういうあり方が良いのか、自分にはまだ
その域に達していないので、上手く説明できないのですが、なんとなく無の状態
が良いのではないかと感じています。

無はマイナスの印象?

現代、特に資本主義社会の文脈においてはいかに物質的な物やお金を所有して
いく事が大切であり、豊かさの指標であります。もちろん、僕もお金は好き
ですし、経済的にももっと豊かになりたいという欲求はあります。そんな中で
無(ゼロ)っていう言葉は価値が無い事、どこか寂しい響きがあったりします。

ヨガにおける無の持つ意味

一方、ヨガにおける無とはとても良い事だったりします。

ヨガにおいては「無」の状態こそ豊穣であり、全ての源泉なのです。

自分自身の経験や知識によって作られた先入観や偏見が取り去られ、全ての
ことをまっさらな状態で味わうことができます。この、エゴが消えた状態、
それが「無」という状態なのです。ヨガにおいて、「無」とは「全て」である
ことと同義です。「全て」というのが漠然としてわかりにくければ、「宇宙」
と言い換えてもよいでしょう。

引用:「ヨガから始まる」ケン・ハラクマ より

その瞬間、無(心)になれるか

最近、毎朝、ヨガをしていて思うのはエゴと無心がせめぎあっているという事。
エゴは何かと言い訳をしてヨガをサボろうとしたり、無用な事を考えようとします。
無(心)は黙ってヨガを実践させようとしてくれます。そして、毎日継続する程、
無(心)の方が強くなって来ているのを実感します。

現在、冬季オリンピックが開催されていますが、葛西紀明選手がNHKのプロフェッショナル
で特集されていた時のエピソードも無心のエピソードとして印象的です。
葛西選手は小学校、中学校までは負け無しで、「何も考えず」に、ジャンプを純粋に楽し
んでいたといいます。しかし、高校で日本代表に選ばれた頃、世界のトップジャンパーの圧倒的
な飛距離に触発され、「自分も同じような技術を手に入れたい」と願い、「考えて飛ぶ」事が
始まりました。一度、考えて飛び始めると、幼い頃のようなジャンプができなくなってしまった
そうです。どんなに無心で飛ぼうとしても、ダメだでした。
しかし、2014年のソチ五輪では無心で飛ぶ感覚を取り戻し、見事、男子ラージヒルで41歳8カ月
にして銀メダルを獲得。団体戦では、葛西は銅メダルを獲得しました。

無へ向かう事

自分はまだまだ、ヨガ実践の道半ばですが、「無」の状態こそ豊穣であるというのは
感覚的に目指す指標であるかなと考えています。どんどん無駄な物はそぎ落として行き
「無」の状態に近づいて行きたいと考えています。(とても抽象的な表現となってしまい
ますが。。)